及ばずながらの鑑賞(再び)
ほととぎす治承寿永のおん国母三十にして経よます寺
与謝野晶子
治承・寿永(じしょう・じゅえい)の乱、とは、平安時代末期の治承四年(1180)から元暦二年(1185)にかけての六年間にわたる、平清盛ら平氏の財や権力で栄華を極め、傍若無人にふるまったことに対する反乱であり、源頼朝を中心とした主に坂東平氏からなる武士集団が中心となって、平氏に代わって鎌倉幕府の樹立に至った乱をいうのだそうです。
国母、とは、淳和天皇の皇后、正子内親王が国母といわれたそうです。
大覚寺、は京都府右京区 嵯峨 大沢町にある真言宗大覚寺派の大本山の寺院で、皇室ゆかりの寺院。
補陀洛寺(竜巻寺)、(真言宗大覚寺派)は養和元年(1181)に源頼朝の祈願所として鎌倉に建立された。
正子内親王が経を読まれたのか・・・・・。
与謝野晶子さんが経を読まれたのか・・・・・。
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