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かにかくに祇園は恋し寝(ぬ)るときも枕のしたを水のながるる

               吉井 勇



   先生の鑑賞

(前略)祇園の良さに心惹かれて、今夜もまたこうしてきて一夜を泊まることにしてみると、寝るときにも潺湲(せんかん)(さらさらと水の流れる音)として心を誘うような水の音がきこえてくるのです。

やさしく軽やかに、ことば親しく語りかけてくるようなせせらぎの音が、耳にこころよくひびいてまいります。

それがまた一層祇園の情趣を勇になつかしくかきたてるのです。(以下略)



   僕なりの鑑賞

祇園がお好きなんでしょうね・・・・・。

そばにせせらぎが流れていて・・・・・。

何とも言えない風情なんでしょうね・・・・・。

うかび たつ たふ の もごし の しろかべ に

   あさ の ひ さして あき はれ に けり

             会津八一



   先生の鑑賞

薬師寺の塔の軒下の壁面の庇に似た差し掛け(もごし)の白壁に匂うように朝日がさしていて、秋の日はさわやかに晴れわたっているというのです。

 このように、声調流麗、截(き)りぬいたように美しさが表現されているのには学ぶべきところが多いと思います。



   僕なりの鑑賞

薬師寺の塔の白壁に・・・・・。

秋晴れの朝日が輝いている・・・・・。

かすがの の みくさ をりしき ふす しかの

   つの さへ さやに てる つくよ かも

            会津八一



   先生の鑑賞

(前略) 春日野の草を敷いて鹿がふせているのですが、その角(つの)に月光がひかっているのです。

月の光は、鹿の角に艶をかけたように清らかに照っています。

 そういう皎々と冴えた月夜なのです。

古都の森も草野も濡れたように月光を浴びていたことでしょう。

鹿がふせて敷いている草の葉にも、月の光は透くように射していたと思われます。

 つめたくしみとおるような月の光が、あたりをおしつつんでいるのですが、ふと目にした鹿の角にも、さやかに照りつやめく光を映しているのです。

あたかも万物が月の寂光のもとにひとつに溶け入るようにも思えるほどの、美しい月夜なのです。

見事な作品だと思います。



   僕なりの鑑賞

美しい月夜なんでしょうね・・・・・。

草に伏せている鹿の角・・・・・。

その角さえ美しく艶めいている・・・・・。

かすがの に おしてる つきの ほがらかに

   あき の ゆふべ と なり に ける かも

              会津八一



   先生の鑑賞

(前略) 奈良の春日野あたりいちめんに照りわたる月の光は、美しくきよらかに朗々と明るいのです。

もちろん空はさわやかに晴れていることでしょう。

その感じが「おしてる月」という短い言葉で受けとれるように思います。

 そういう月の光にぬれて佇んでいると、もうすっかり秋の夕となったなあという感慨がわいてくるのです。

下の句はいわばなんの屈折もない、すらりとした普通の言葉ですが、それが上の句と一つになったとき、いかにも秋と思う感慨をふかく直接に訴えるものとなっているところに、この歌の秀逸さがあると思います。



   僕なりの鑑賞

春日野の夕べ・・・・・。

煌々と輝く月・・・・・。

ああ秋だなあ・・・・・。

ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲

          佐佐木信綱



   先生の鑑賞

 名詞止めの歌であり、素材としては塔の上の空に浮かんでいる一片の秋雲のみで、何も特別のこととてないのですが、なにか夢幻の世界に誘いこまれるような、詩情豊かな歌だと思います。

澄みきった秋の空にぽっかりと小さい、おそらく糸を引いたような、あるいは紡いだ綿のような雲が浮かんでいるのでしょうが、声調の流れるようなおおらかさとあわせて、引き寄せられるような魅力を感じます。



   僕なりの鑑賞

好きな歌を一つあげるならば、この歌をあげるかもしれません。

何の説明もいらないような分かりやすい歌だと思います。

これほど調べの豊かな歌も他にないのではないでしょうか・・・・・。

人とほくゆきて帰らず秋の日の光しみ入る石だたみ道

           佐佐木信綱



   先生の鑑賞

 大和の奈良近くの古い寺に行ったときの歌です。

 古寺に詣でて懐古の感を深くして成った歌だと思います。

「人とほくゆきて帰らず」の「人」というのは、おそらく奈良万葉時代の人々のことです。

「ゆきて帰らず」というのは、先人たちがすでに遠い昔に、たとえば万葉集に知られるようなさまざまの人の姿を残して、はるか過去の人となっていったことについて、偲ぶ思いを深くしている心情のそのままの表現だと思います。

この二句切れの表現は、言葉のひびきとして、深い感懐をひそめていることを思わずにはおられません。(以下略)



   僕なりの鑑賞

友人との別離を詠われたものかと思いました。

昔の人々を偲ばれている歌なんですねえ・・・・・。

作者ご自身の居られるところは・・・・・。

秋日和の石畳の道・・・・・。

袷(あわせ)着てなほ肌にしむ今朝の冷え空わたる鳥の数減りにけり

                森園天涙



   先生の鑑賞

(前略)あわせを着てもまだ少し肌寒さを感じさせるような秋もなかばすぎの頃、今までは数しげくみられた渡り鳥たちのすがたが、心なしか少し減ってきたように思われるのです。

冷え冷えとしてきた頃の、何がなしにまがなしさの感じられるようになった、秋深いときの人のこころが、歌の内奥にひそめられているのをしみじみと読みとることができるように思います。(以下略)



   僕なりの鑑賞

厚着しても・・・・・。

なお肌寒い今朝・・・・・。

渡り鳥の数も・・・・・。

少なくなってきたなあ・・・・・。

渡り鳥のおのがじしなる啼声の空遠ざかり一つにきこゆ

            森園天涙



   先生の鑑賞

(前略)近い空を渡る渡り鳥の声が聞こえるのですが、つぶさに聞いていると、その一つ一つに、それぞれの声音をもっているのがわかります。

しかし、段々と鳥の一群が遠ざかるにつれて、そのひとつずつの違う声音もひとつにとけこんでしまって、ただ一群の鳥の声として、小さく細くなってゆくのです。(以下略)



   僕なりの鑑賞

近くを飛んでいる渡り鳥の群れ・・・・・。

それぞれの声が聞き取れていたのだが・・・・・。

遠ざかるにつれ・・・・・。

一群れの声として聞こえはじめ・・・・・。

やがて消えていく・・・・・。

秋日和さだまりぬらし代々木野の夜のひきあけを霧降るみれば

             森園天涙



   先生の鑑賞

(前略)今の東京のすがたからはとても想像もできないほど、この歌の詠まれた頃の代々木のあたりは、練兵場をはじめとして、まことにひろびろとうちひらけた緑の色も鮮やかな広野が見渡せました。

朝くらいうちから起きていて、夜のひきあけの頃おいをその広野のたたずまいに眺め入るのですが、しずかに乳色の霧が、あるいは樹立ちの中辺に、あるいは草原の低いくぼみくぼみに、濃く淡く降りて、あたりいちめんにやわらかくおちついた感じを漂わせているのです。(以下略)



   僕なりの鑑賞

代々木野の早朝・・・・・。

霧が立ち込めている・・・・・

秋も深まったなあ・・・・・。

中庭にふと目をやればゆくりなく八重の山吹きもう咲いていた

              藤本楠庭

天高く秋の風ふき濠の土手吾れに離れて曼珠沙華赤し

           古泉千樫



   先生の鑑賞

「天高く秋の風ふき」というのは、あらぶるほど吹いている風のことではないと思います。

(中略)

 そういう秋日和のもと、濠の土手に咲いている曼珠沙華の花は、見ている自分からはある距離を持っているわけです。

自分からの距離をおいてかたまり咲いているひがん花の色が、まことにあかあかと燃えるように見える、というのですが、「吾れに離れて曼珠沙華赤し」という表現は、ありのままを述べてあるだけに、いよいよ心にくいまでの美しい写生になっていると思います。



   僕なりの鑑賞

秋晴れの風・・・・・。

濠の土手に列をなして咲いている曼珠沙華・・・・・。

その少し離れて咲いている花の赤さが目に染みる・・・・・。