先生の鑑賞を参考にさせて頂いての鑑賞
白樺にめざめし小鳥とびたちて光たばしるごとき朝あけ
高安やす子
先生の鑑賞
やす子は岡山県に生まれ、嫁いだ後は医師の夫と共に芦屋市に永く住んでいました。
はじめ新詩社に入りましたが、しばらく作歌中絶のあと、大正十五年から斎藤茂吉の門に入っております。(中略)
きらびやかさに心うたれます。
しかし、この歌から想像される情景のきらびやかさにくらべて、その措辞はまことにしっとりと落ち着いて、表現にあたっては、感動を押さえてものしてあることが感じられます。
そして、それだけに、味わう程に感動の深さと情景の美しさが心に沁みて来る歌になっています。
白樺の木に塒(ねぐら)をとっていた小鳥らが朝のけはいと共に飛び立つと、その羽交いに折柄の朝の光がさして、羽ばたきと共にたばしるようにかがやくのでしょう。
光たばしるというのは、鳥の翼にキラキラとてりかえす光に相違ありませんが、それを、あたりいっぱいに光がたばしるような美しい朝あけだと感じています。
これはすでに、単に鳥の羽に光る光ではありません。
この世のものとも思えぬほどの、朝そのもののすがすがしい美しさなのです。
それを、殊更の気負いもなく、「翼に」とことわることもなく、落ち着いた言葉で、単純直接に「光たばしるごとき朝あけ」と言いおろしたことに、強く心惹かれるものがあります。
僕なりの鑑賞
飛び立った小鳥の・・・・・。
翼に・・・・・。
朝の光が・・・・・。
反射しているのでしょうか・・・・・。
0コメント