先生の鑑賞を参考にさせて頂いての鑑賞
朝若き光たださす桃畑の玄土(くろつち)の上(へ)に立ちたりわれは
ー--ふるさとの朝ー--
岡野直七郎
先生の鑑賞
直七郎は都会の生活に精神的矛盾を感じるか、何か深い懊悩(おうのう)をもって、自ら塵寰(じんかん){塵の世界・俗世間)を去ると題して幾つかの歌を詠み、郷里に帰って来ました。彼の四十歳のころのことです。
朝の光はまだ強くなくて澄んでいます。
遮るものもなく、開豁(かいかつ)に晴れた空からじかに桃畑に射す光です。
朝若き光という言葉はまことにすぐれた表現だと思います。
澄んだ空気と光のすがすがしさと懐かしさとを感じさせる言葉です。
ちらちらと桃の木肌に光っている光景までが眼に見えてくるように思います。
春まだ浅く桃はまだ裸木であると想像されます。
その桃畑(彼の故郷岡山は白桃の産地ですから、あるいはそのような果樹園だったかも知れません)の土はくろぐろと肥えています。
その玄土の上に立った彼は、まことに今こそ故郷に帰って来たのだという感懐をたしかにいたします。
「玄土の上に立ちたりわれは」と、一気に言いおろしたしらべの中に、そのよろこびが溢れているように思います。
僕なりの鑑賞
帰郷したばかりのことなんでしょうか・・・・・。
早朝の桃畑・・・・・。
玄土というのは肥えた土なんでしょうね・・・・・。
故郷に帰った喜びでしょうか・・・・・。
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